2016年10月29日土曜日

東京堂の佐瀬さんのこと

 つかだま書房としての初書店営業は東京堂書店(神保町)の佐瀬さんと決めていた。それは、とある事件(と言ったら大げさか?)を垣間見て以降、彼女のファンになったからだ――。

 その当時、神保町の出版社に勤務していた私は、昼休みになると(飲食店が混むので、だいたい13時過ぎに)、三省堂書店、東京堂書店、書肆アクセス、書泉ブックマート、洋書や美術書が充実していたタトル商会などをぐるりと定点観測してからメシを食い、ラドリオか伯剌西爾でコーヒーを飲みながら読書、という毎日を過ごしていた。で、いろいろ欲しい本が見つかると、「サブカル系は書泉ブックマートかな」とか「雑誌は三省堂でいいか」、「やっぱ人文書は東京堂で」などと、それぞれ書店を使い分けていた。 

 そんなある日のことである――。

 いま調べたら2004年の9月か10月に「事件」は起きた。いつものように東京堂に寄って、一階の売場をぐるりとチェックし、通称「軍艦」と呼ばれていた新刊台を眺めていたら、突然、店内に響き渡るくらいの大声で、女性店員さんの叫び声(?)が聞こえてきたのだ。

 「佐野さん、蜂飼さんの本、どこへやったんですか?」

 声は少し怒気を孕んでいた。

 「佐野さん」とは、当時、東京堂書店の店長さんで、「東京堂書店が東京堂書店としてのブランドイメージを維持しているのは、佐野さんがいるから」くらいに私は思っていた。というのも――、たとえば、作家の立花隆は東京堂の常連客だったが、佐野店長を引き連れ、彼に何十冊もの本を持たせて買い物をしている姿を何度か見たこともある。東京堂を退職後、『書店の棚 本の気配』(佐野衛・著/亜紀書房/2012年)を上梓されているので、その本を読め、まさに「プロ書店員」というか「プロの本の目利き」というイメージがぴったりな人だということがわかる。
 
 そんな佐野さんに怒っている若い女性の店員がいる。コイツはいったい何者だ?

 彼女が言う「蜂飼さんの本」というのは、詩人の蜂飼耳さんが詩集とは別に初めて上梓されたエッセイ集『孔雀の羽の目がみてる』である。その本が、数日前から「軍艦」に積まれていたのは私も見ていたが、不勉強ながら未知の著者であり、タイトルもなんだかよくわからない感じだな、といった感じで、その本を手にとって眺めてはいなかった。

 結局、蜂飼さんの本は、「軍艦」から撤去されたわけではなく、棚の整理のために一時的に場所が移動しただけだったようだが、その女性店員さんが怒気を孕んだ声で佐野店長に文句を言う、その本が気になり、私は「軍艦」に戻されるや本書を手に取って、そのままレジへ運んだ。中身も見ずに。
 
 素晴らしい本だった。才能ある新たな書き手の出現に瞠目した。しかも、文章からも、名前からも、書き手が男性なのか女性なのかも想像がつかない。「この書き手は何者だ?」と思った。さらに言えば、上製本を書見台に見立てて1センチ以上もの「チリ」をつけた菊地信義さんの装丁も素晴らしかった。その後、私は蜂飼さんにアポを取り、さっそく書籍の企画の打診をした(が、その企画は実現しなかった)。

 蜂飼さんの本のことで、「あの佐野店長」を怒鳴りつけたのが佐瀬さんだった。彼女の怒声がなければ、私は蜂飼さんの本と出会えなかった。

 以来、私は、東京堂書店・佐瀬さんのファンになった。私が担当した新刊が出るとPOPを持参して渡したり、またある時は、私が担当した新刊のトークショーを東京堂で開催してくださったこともあるし、新聞で書評を書いてくださったこともある。

 そこから少しずつ親しくなってゆくのだが、東京堂の店外で会ったり、話したりということは一度もない(ある作家さんのパーティーでご一緒する機会が1回だけあったが)。通常は、「書店員」と「顔なじみの客」という、ちょうどいい距離感の関係が続いていた。

 その後、転職して神保町勤務ではなくなても、週に1度は東京堂に寄っていたと思う。そして私は、会社員を辞めてフリー編集者になる。ある日、東京堂を訪れて「最近はどうされているんですか?」と訊かれたので、会社を辞めてフリーになったことを話し、「出版社を始める予定だ」と伝えた。佐瀬さんは「楽しみにしています。注文書、持ってきてくださいね」と言ってくださった。

 それから3年間、東京堂に行って佐瀬さんに会うたびに、「最近はどん感じですか?」「出版社はいつ始めるんですか?」「最初はどんな本を出すんですか?」なんてことを訊いてくださる。まあ、社交辞令もあると思うが、私はもう佐瀬さんのファンなので、そんなちょっとしたコミュニケーションが嬉しくて仕方がない。

 だから、実際、出版社を始めるにあたって、真っ先に書店営業に向かったのは東京堂書店であり、佐瀬さんに注文書を手渡したいと思ったのだ。

 しかし、誤解しないでほしい。佐瀬さんは、いわゆる「カリスマ書店員」と「有名書店員」とか呼ばれるようなタイプの書店員さんではない。なんて言ったいいのかなあ、取っ付きやすいタイプでもないし……、誤解を恐れず言うなら、なんか「ぶっきら棒」な感じなのだ。

 でも、私は、そこが好きなのだ。そして、私以外にも佐瀬さんのファンが数多くいること、なかでも作家さんに佐瀬さんのファンが多いことを知っている。

 ちょっと失礼な表現かもしれないが、なんか、ぶっきら棒で不器用そうで(そんなイメージがする)、でも、自分が信念は上司であろうが強気で意見をはっきり言う、そういう感じの人に、私はシンパシーを感じるのだ。


 だから、つかだま書房で出す最初の本の注文書を、真っ先に佐瀬さんに注文書を届けたかったのだ。

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